第13回 歯科医学歴史散歩
~千住宿を歩く~
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10:00南千住駅集合。
駅前には,芭蕉の像。像の左奥に徳川の御紋が見えます。 この後すぐに行く回向院です。

常磐線をくぐって,延命寺。ここは品川の鈴ヶ森刑場と並ぶ江戸の刑場で, 明治初めに廃止されるまで磔(はりつけ)・斬首などが執行されていました。

この延命寺と次の回向院は, 第2回歯科医学歴史散歩 でも歩きました。そのときは東日本大震災の後であり,首切地蔵は地震の ために台座と胴がずれ,危険のため胴体部分が地上に置かれていました。

常磐線を再度くぐって,回向院。常磐線上り電車の右側車窓から,この 徳川御紋が見えます。

杉田玄白・前野良沢らが,1771年ここで刑死者の腑分けを見学しました。

腑分けを見学したのち,彼らはターヘルアナトミアの翻訳を志し, 1774年『解体新書』として出版しました。これを近代医学発祥の地として, 観蔵記念碑が建てられました。

下は,吉田松陰・橋本佐内など幕末の志士や,鼠小僧次郎吉・片岡直次郎・ 高橋お伝らのお墓です。

もっとも吉田松陰の遺体はのちに高杉晋作らによって掘りおこされ, 世田谷の松陰神社に埋葬されています。 第4回歯科医学歴史散歩

日枝神社は,江戸時代に山王社と呼ばれた旧千住宿中村町の鎮守です。

参道入り口の十字路に小祠があります。 参勤交代のために江戸に向かう清兵衛という武士が,歯痛に耐え切れず, この地で切腹したと伝えられています。この武士を祀って『歯神・清兵衛』 といわれるそうです。

日本歯科医師会のホームページの 雑学いろいろ の中にも記事があります。

千住大橋で隅田川を渡り,旧日光街道に入ります。 街道入口には,矢立初めの芭蕉像があります。

この通りには多くの商店が並んでいたそうで,その屋号が書かれた看板が 展示されてます。

下は,街道から少し中に入ったところにある『勝専寺』です。 荒川から引き上げられた木造の千手観音が祀られているそうですが,一般には 公開されていないらしい。この千手観音が,地名としての千住の由来でも あるらしい。

旧日光街道を歩いて荒川に突き当たる手前に 名倉医院がある。 1770年に骨接ぎ業を始めたそうだが,現在まで代々受け継がれているようだ。 詳細は医院のホームページにゆずったほうがよさそうだ。

荒川土手沿い常磐線をくぐると,『清亮寺』があります。

本堂左手に,『解剖人墓』があります。

明治3(1870)年,ここで死罪人11名の解剖が行われた。解剖にふされた11名 の戒名もならびますが,うち8名の戒名には刃の文字が含まれています。

前野良沢・杉田玄白らの腑分け(1771年)から,およそ100年後にも, この千住の地で解剖が行われた。 まさに千住は近代医学発祥の地であるのかもしれない。

解剖にふされた人の霊をとむらうために,明治5(1872)年に墓が建立された とのことです。その石碑も破損が激しくなったため,昭和42(1967)年に 石碑の前に新しく石碑を作ったのだそうだ。


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